マンジャの塔

シエナのシンボルである塔で、市のパノラマを楽しむことができます。

マンジャの塔 イタリア , シエナ
住所
Il Campo, 1, 53100 Siena SI, イタリア
電話 0577 292342
滞在時間 30分〜1時間
費用の目安 EUR5.0 ~
英語名 Torre del Mangia
現地名 Torre del Mangia

マンジャの塔について
レビュー

シエナはイタリア中部に位置する美しい中世の街で、そのシンボルとも言える観光名所が「マンジャの塔」です。この塔は14世紀に建てられた高さ88メートルの鉄塔で、シエナの中心部にそびえ立っています。

マンジャの塔は、シエナのシンボルである「パラッツォ・ピュブリコ(Palazzo Pubblico)」という市庁舎と一緒に建てられました。塔の名前「マンジャ」は、塔の最上階に住んでいた初代の時計台守である「マンジャ」から取られています。

塔の内部には、螺旋階段が続いており、上まで登ることができます。塔の最上階からは、シエナの美しい街並みや広大なトスカーナの風景を一望することができます。特に夕暮れ時に塔の上から眺める夕日は、まるで絵画のように美しい光景です。

マンジャの塔は、シエナの歴史や文化を感じることができる貴重な建造物であり、世界遺産にも登録されています。シエナを訪れた際には、ぜひマンジャの塔を訪れて、その壮大な景色と歴史を堪能してみてください。

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マンジャの塔周辺やシエナで人気のアクティビティ

イタリアについて

イタリアは、地中海に深く突き出る半島を占める南中部ヨーロッパの国であり、しばしばブーツの形をした国と形容されます。イタリアには地球上で最も多様で景観の美しい地域が広がっており、その頂点には世界でも最も険しい山脈の一つであるアルプスがそびえ立っています。

イタリア最高地点は、スイスにあるモンテ・ローザと、フランスにあるモン・ブランに沿っています。西アルプスはアルプスの湖と氷河に削られた谷の風景を見下ろし、それらはポー川とピエモンテまで広がっています。シサルパイン地域の南に位置するトスカーナは、おそらく国内で最もよく知られている地域です。国の中央アルプスから国の長さにわたって伸びるのが高いアペニン山脈で、ローマ近くで幅広くなり、イタリア半島のほぼ全幅を覆っています。ローマの南ではアペニン山脈が狭くなり、ティレニア海を望む広い沿岸平野と、アドリア海を望む広い沿岸平野がそれに続きます。下部のアペニン山脈の多くは未開地のままで、西ヨーロッパの他の地域では滅多に見られない野生のイノシシ、オオカミ、アスプ、クマなどのさまざまな種を宿しています。南アペニン山脈もテクトニック的に不安定で、ヴェズヴィオ火山を含むいくつかの活火山があり、時折、ナポリとその島々の入り江上空に灰と蒸気を噴出します。国の最南端には、地中海にシチリア島とサルディニア島があります。

シエナについて

シエナ(Siena)は、イタリア中部トスカーナ州にある都市です。フィレンツェの南約48キロに位置します。シエナは13〜14世紀にフィレンツェに抜かれるまで、商業と銀行の中心地として歴史的に重要でした。

シエナのある場所は、もともとエトルリア人の集落でしたが、後にローマの都市セナ・ジュリアとなりました。この植民地は消滅しましたが、その後発展したシエナは、ロンバルド王の下で栄えました。12世紀には、自治都市となりました。

隣接するフィレンツェは帝国に反対するグエルフ派でしたが、シエナは経済的なライバル関係と領土紛争により、トスカーナにおける親帝国派のギベルリン派の中心地となりました。シエナは、1260年9月4日のモンタペルティの戦いでフィレンツェ軍を打ち破った時、政治的成功の頂点に達しました。

シエナは13世紀には重要な銀行中心地でしたが、ライバルのフィレンツェに対抗できませんでした。帝国の力は衰え、教皇はシエナのギベルリン派商人に対する経済制裁を課しました。その後まもなくシエナ自体がグエルフ派に転向し、ギベルリン派の貴族は力を失いました。シエナは戦争、飢饉、そして14世紀初めにイタリアを襲った一般的な経済衰退に見舞われました。また、1348年に始まった黒死病の流行にも悩まされました。グエルフ派とギベルリン派の争いはなくなったものの、貴族、商人、市民間の勢力争いはシエナの内部的安定にはほとんど貢献しませんでした。