バグラティ大聖堂

歴史的なバグラティ大聖堂は、ジョージアの重要な建築物の1つで、UNESCOの世界遺産に登録されています。

バグラティ大聖堂 ジョージア , クタイシ
住所
7PG3+VPV, Bagrati Street, Kutaisi, ジョージア
電話
滞在時間 1〜2時間
費用の目安 GEL0.0 ~
英語名 Bagrati Cathedral
現地名 Храм Баграта

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バグラティ大聖堂について
レビュー

クタイシはジョージアの中でも歴史や文化が豊かな都市の一つです。その中でも特に注目されるのが、「Bagrati Cathedral(バグラティ大聖堂)」です。この大聖堂は、11世紀に建てられたジョージアの重要な宗教建築物であり、ユネスコの世界遺産にも登録されています。

バグラティ大聖堂は、かつてクタイシを支配していたバグラティ家の王、バグラト3世によって建設されました。当時のジョージアは東ローマ帝国やペルシャ帝国との争いが絶えず、宗教建築物は政治的な意味を持っていました。バグラティ大聖堂は、ジョージアの独立とキリスト教の重要性を象徴する建築物として建てられました。

バグラティ大聖堂は、ジョージアの伝統的な建築様式であるジョージアン・クロスドームを持つことで知られています。その美しい外観は、多くの観光客を魅了し、ジョージアの象徴的な建築物として親しまれています。

また、バグラティ大聖堂は、歴史的な重要性だけでなく、周辺の自然美にも囲まれています。クタイシの丘の上に建てられており、大聖堂からの眺めは息をのむほど美しいです。特に夕暮れ時には、夕日が大聖堂を照らし出す光景は格別です。

バグラティ大聖堂は、ジョージアの歴史や宗教文化を感じることができる重要な観光スポットです。クタイシを訪れる際には、ぜひバグラティ大聖堂を訪れて、その壮大な姿を堪能してみてください。

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バグラティ大聖堂周辺やクタイシで人気のアクティビティ

クタイシについて

ジョージア西部の都市、クタイシ(Kutaisi)は、カフカス山脈の支脈からリオニ川が低地に出る場所に位置しています。トランスコーカシアの最古の都市の一つであり、ジョージアの歴史的な王国であるコルキス、イベリア(カルトリ)、アブハジア、イメレティアの各王国の首都として機能しました。ロシアの征服後、クタイスは州の中心地になりました。その歴史において何度も略奪され、特に1691年にはトルコ人によって略奪されました。

11世紀にボグラティ家によって建てられたクタイシ大聖堂の廃墟が市街中心部の丘の上にあり、そこは狭く入り組んだ通りがあります。市外には、12世紀のゲラティ大聖堂と修道院があり、1994年にはユネスコの世界遺産に指定されました。また、市外には石灰岩の洞窟や恐竜の化石があるサタプリア自然保護区もあります。現代のクタイスは重要な工業都市であり、トラック、ポンプ、鉱業機械、繊維(特に絹)、食品などの消費財を生産しています。リオニ川には水力発電所があります。クタイシには教師養成所もあります。人口(2014年)147,635人、推計(2016年)147,900人です。

ジョージアについて

ジョージア(Georgia)は、大コーカサス山脈の主稜線の南側、黒海の東端に位置するトランスコーカシアの国です。北と北東はロシアに、東と南東はアゼルバイジャンに、南はアルメニアとトルコに、西は黒海に接しています。ジョージアには3つの民族的飛地が含まれています。北西にはアブハジア(主要都市ソフミ)、南西にはアジャリア(主要都市バトゥミ)、北には南オセチア(主要都市ツヒンヴァリ)があります。ジョージアの首都はトビリシ(ティフリス)です。

ジョージアの人々のルーツは歴史に深く根ざしており、彼らの文化遺産も同様に古代で豊かです。中世には、強力なジョージア王国が存在し、10世紀から13世紀にかけて最盛期を迎えました。トルコとペルシャの支配の長い時代を経て、19世紀にはロシア帝国に併合されました。独立したジョージア国家は1918年から1921年まで存在し、その後ソビエト連邦に併合されました。1936年にジョージアは構成(連合)共和国となり、ソビエト連邦の崩壊までその地位を保ちました。ソビエト時代にはジョージアの経済が近代化され多様化されました。最も独立志向の強い共和国の一つであるジョージアは、1989年11月19日に主権を宣言し、1991年4月9日に独立を宣言しました。