ケンブリッジの観光名所のひとつとして有名な コーパス・クロック(Corpus Clock) は、見た目にも奇抜でありながら深い歴史的背景と科学的仕掛けを秘めた、まさに“時を食らう時計”です。設置されているのは、コーパス・クリスティ・カレッジ(Corpus Christi College)の一角。元々は1866年に建てられた銀行(ロンドン・カウンティ・バンク → ナットウェスト銀行)の入口で、2005年の閉鎖後、学生図書館の新設計画に合わせて設置されました。
この時計をデザインしたのは発明家であり同カレッジの卒業生でもある ジョン・C・テイラー卿(Dr John C. Taylor OBE)。彼は電気ケトルの温度制御装置(バイメタル式サーモスタット)の発明でも知られる人物であり、同時に熱心な時計学者でもありました。彼の寄贈によって、2008年にこのユニークなクロックは完成し、背後には彼の名を冠した図書館が誕生しました。
クロノファージ ― 時を食らう怪物
時計の最上部には「クロノファージ(Chronophage=時間を食べる者)」と呼ばれる昆虫のような怪物が鎮座しています。この金色のクリーチャーは、30秒ごとに口を開けて“時間を噛み砕く”ように見え、見る者に「時の儚さ」を意識させます。
時計の心臓部には、18世紀の発明家ジョン・ハリソンが考案した「グラスホッパー脱進機」という仕組みが用いられています。これは時計の精度を飛躍的に高めた歴史的機構で、コーパス・クロックは世界最大のグラスホッパー脱進機を備えた時計とされています。歯車は金メッキされた鋼板から作られ、爆発による真空成形で放射状の模様を生み出し、まるで宇宙のビッグバンを連想させるデザインとなっています。
音も光も一味違う演出
正時を告げる際、鐘の音は鳴りません。その代わり、鎖が擦れる音や木の棺を叩く音が響くという不気味な演出がなされており、背後の図書館で勉強する学生にとっては少々落ち着かない存在かもしれません。
文字盤には針も数字もなく、代わりに青いLEDが組み込まれた2,736個の発光点が光の走りによって時刻を示します。見た目は光が順番に点滅しているようですが、実際には歯車の動きにより機械的に制御されており、錯覚を利用して時間を表示しています。
この時計は「50種類のトリック」を仕掛けるように設計されており、特別な4日間 ― ジョン・ハリソンの誕生日(3月25日)、ジョン・テイラーの誕生日(11月25日)、元旦、そしてコーパス・クリスティの日 ― にだけ特別な動きを見せます。時に早く進み、時に遅れて見えるこの仕組みは、時間そのものが私たちの認識によって揺らぐものであることを示唆しています。
隠されたメッセージ
振り子にはラテン語の銘が刻まれており、 「Joh. Sarto Monan. Inv. MMVIII」 と記されています。これは「ジョン・テイラー、マン島出身、2008年制作」という意味です。
また、時計の鍵も存在しますが、これは実用的なものではなく儀礼用。鍵を回すと、このクロック専用であることを示す意匠が現れます。そのひとつには、テイラーが発明したケトル用サーモスタットの模様が刻まれています。
ケンブリッジの象徴へ
この時計は、単なる時間表示装置ではなく、科学・芸術・哲学を融合させた現代的なモニュメントとして街に溶け込んでいます。「時は常に食われ、戻ることはない」というメッセージを目の当たりにすると、訪れる人々は時間の大切さを改めて実感せずにはいられないでしょう。