プランタジネット家とは?
プランタジネット家(House of Plantagenet)は、1154年から1485年までイングランドを支配した王家で、実に14人もの王を輩出しました。そのうち6人は分家であるランカスター家とヨーク家から出ています。 イングランドの中世史を語る上で欠かせない一族であり、最終的には 薔薇戦争 を経てチューダー朝に王位を譲ることになりました。
起源と名前の由来
- 起源は、アンジュー伯 ジョフロワ(ジェフリー)・プランタジュネ(1113–1151) と、イングランド王ヘンリー1世の娘である マティルダ(皇后マティルダ) の結婚にさかのぼります。
- 彼らの息子、 ヘンリー2世(在位1154–1189) がプランタジネット王朝の初代王。
- 「プランタジネット」という名前は当初は正式な姓ではなく、ジョフロワの愛称から派生しました。彼が エニシダ(ラテン語でgenista)=黄色いエニシダの花の枝 を帽子に差したり、狩り場に植えたりした習慣に由来するとされます。
※実際に「Plantagenet」という姓が子孫に使われるのはかなり後で、1460年にヨーク公リチャードが王位請求の際に名乗ったのが最初です。
プランタジネット王朝の区分
歴史家によっては呼び方を分けます:
- アンジュー朝(Angevin dynasty):ヘンリー2世、リチャード1世(獅子心王)、ジョン王の3代。
- 狭義のプランタジネット朝:エドワード1世以降の王たち。
プランタジネット家の系譜と影響
エドワード3世(在位1327–1377)の子どもたちが後の歴史を大きく左右しました。
- 黒太子エドワード:正統な跡継ぎでしたが早世。唯一の子リチャード2世が即位するも、1399年に廃位。
- ライオネル(クラレンス公):娘フィリッパを通じて、後にヨーク家に継承権がつながる。
- ジョン・オブ・ゴーント(ランカスター公):その子がヘンリー4世となり、ランカスター朝を開く。
- エドマンド・オブ・ラングリー(ヨーク公):ヨーク家の祖となる。
こうしてプランタジネット家の中からランカスター家(赤薔薇)とヨーク家(白薔薇)が分かれ、王位継承をめぐって争ったのが薔薇戦争です。
薔薇戦争と終焉
- ランカスター家とヨーク家の内戦は、リチャード3世(ヨーク派) と ヘンリー・チューダー(ランカスター派の血筋) との戦いで決着。
- 1485年 ボズワースの戦いでリチャード3世が敗死し、ヘンリー7世(チューダー朝)が即位。
- プランタジネット家の嫡流男子は、1499年にヨーク公リチャードの孫エドワード・ウォリック伯が処刑されたことで断絶しました。
プランタジネット家の意義
- イングランドの法律・議会制度の発展に大きな影響。
- フランスとの百年戦争を戦い、イングランドの国民意識形成に寄与。
- 分家同士の争い(薔薇戦争)は、イングランド中世の象徴的事件。
👉 まとめると、 プランタジネット家は 約300年以上イングランドを支配した王家であり、そこから派生したランカスター家とヨーク家が薔薇戦争を引き起こし、最後はチューダー朝へとつながっていきました。