ランカスター家(House of Lancaster)は、 イングランド王家プランタジネット家の分家(カデット分家) で、14〜15世紀にかけて王位を担った名門貴族です。特に、薔薇戦争(1455〜1485年) において、ヨーク家と王位をめぐって争ったことで知られています。紋章には赤い薔薇が使われたため、後世「赤薔薇のランカスター」と呼ばれるようになりました。
成り立ち
- 1267年:エドマンド・クロウチバック(ヘンリー3世の末子)に「ランカスター伯」の称号が与えられる。ここが始まり。
- その後、娘ブランシュ(John of Gaunt=ジョン・オブ・ゴーントと結婚)を通じて、ランカスターの財産と称号はゴーント家に継承されました。
ジョン・オブ・ゴーントはエドワード3世の息子で、プランタジネット家の有力者。彼の子であるヘンリー・ボリングブルックが王位を奪い、ヘンリー4世(1399年即位) としてランカスター朝が始まります。
ランカスター朝の3人の王
ヘンリー4世(在位1399–1413)
- 王位簒奪で即位。王権はやや不安定だった。
ヘンリー5世(在位1413–1422)
- アジャンクールの戦いでフランスに大勝。
- シャルル6世の娘と結婚し、息子にフランス継承権を残す。
- 「最盛期」のランカスター王。
ヘンリー6世(在位1422–1461, 1470–1471)
- 幼少で即位。フランス領を失い、精神的にも不安定。
- ヨーク家との内戦(薔薇戦争)が激化。
薔薇戦争との関係
- 薔薇戦争は、ランカスター家(赤薔薇) とヨーク家(白薔薇) が王位継承権をめぐって争った内戦。
- 結果的に、ヨーク家のエドワード4世が勝利し、ランカスター家は一度滅亡。
- しかし、ランカスター家の血を引く ヘンリー・チューダー(後のヘンリー7世) がヨーク家を破り、チューダー朝を開きました。ここでランカスターとヨークの争いは終結します。
ポイント整理
- ランカスター家は プランタジネットの分家 。
- 3人の王を輩出(ヘンリー4・5・6)。
- 薔薇戦争でヨーク家に敗れるが、ヘンリー7世が最終的に両家を統合。
- 紋章は「赤薔薇」、ヨーク家は「白薔薇」。ここから「薔薇戦争」という名称が生まれた。
👉 つまりランカスター家は、 「王位を獲得したが薔薇戦争で滅び、最後にチューダー家へとその血筋を受け継がせた一族」 とまとめられます。