アンティオキア(Antioch in Pisidia)とは? 古代アナトリアの要衝都市

トルコ·
サムネイル画像

アンティオキア(Antioch in Pisidia)とは?

トルコ西部、現在のヤルヴァチ(Yalvaç)近郊に位置するアンティオキア(ピシディアのアンティオキア)は、古代フリギアの国境地帯に築かれた重要都市のひとつです。セレウコス朝の創始者セレウコス1世ニカトル(紀元前358–281年頃)によって建設され、後にローマ帝国の支配下に入りました。

ローマ帝国の自由都市から植民都市へ

紀元前189年、ローマ人によって自由都市の地位が与えられ、紀元前25年頃には直接支配下に置かれます。まもなく皇帝アウグストゥスの手によって植民都市となり、「カエサレア・アンティオキア(Caesarea Antiochia)」と名付けられました。この地は南ガラティアにおける民政・軍事の中心地として発展し、ローマ帝国の地方統治において重要な役割を担いました。

キリスト教布教の拠点

アンティオキアは、初期キリスト教史においても特筆すべき地です。クラウディウス帝(在位41–54年)の時代には、使徒パウロがガラティア地方での布教活動の拠点のひとつとしました。新約聖書『使徒行伝』にも登場し、当時の宗教的な広がりを物語っています。

ディオクレティアヌス帝による再編と遺跡

後のディオクレティアヌス帝(在位284–305年)による属州再編で、この都市は正式にピシディアに属することとなりました。現在残る遺跡の中には、地元のフリギア神メン・アスカエヌス(Men Ascaënus)を祀ったとされる大規模な岩窟跡があり、かつての宗教的中心地としての姿を偲ばせます。

今日のアンティオキア遺跡

現代のトルコ・ヤルヴァチ近郊に残るアンティオキア遺跡は、ローマ都市計画の特徴をよく伝えており、古代ローマと初期キリスト教の歴史を感じることができる場所です。石造建築の基礎や劇場跡、城壁などが残されており、歴史愛好家や考古学ファンにとっては見逃せないスポットとなっています。

🔥 同じカテゴリーの記事
最終更新日

\ おすすめのアクティビティ /