王国とは?いまも存在する世界の小さな君主国を紹介【ブータン・トンガ・エスワティニなど】

ブータン トンガ王国·
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20世紀には多くの王政国家が崩壊し、共和制へと移行した国々が世界各地で見られた。 それでも現在もなお、王政を維持している国や地域は少なくない。 ここで紹介するのは、世界の中でも特に規模の小さい6つの王国である。 中には世襲によって王が選ばれる国もあれば、民意によって指導者が選ばれる場合もある。


ウォリス・フツナ諸島(Wallis and Futuna)

ウォリス・フツナ諸島(Wallis and Futuna)
ウォリス・フツナ諸島

南太平洋に位置するポリネシアの島々、ウォリス諸島とフツナ諸島は、総面積わずか140平方キロメートル(54平方マイル)の小さな地域であり、フランスの海外準県(オーヴァーシーズ・コレクティビティ)に属している。 行政的にはフランス政府が任命する「首席行政官」によって統治されているが、同時に3つの伝統的な王国が存在し、それぞれの住民によって選ばれた最高首長(国王)が治めている。

ウォリス島の前国王カペリエレ・ファウパラ(Kapeliele Faupala)は2008年7月に即位したが、2014年9月に伝統的指導者たちによって退位させられた。彼は1767年以来ウォリスを支配してきた タクマシヴァ王朝(Takumasiva dynasty) の一員であり(1818〜1820年にはクリテア王朝による一時的な中断あり)、その最後の王であった。

一方フツナ島には2つの首長国があり、シガヴェ(Sigave)王国では現在ポリカレポ・コリヴァイ(Polikalepo Kolivai)が王として即位している。もう一つのトゥア(Tu’a)王国は4年間王位が空位となっていたが、2014年1月17日にペテロ・セア(Petelo Sea)が新国王として即位した。

ブータン王国(Bhutan)

ブータン王国(Bhutan)
ブータン王国(Bhutan)

ヒマラヤ山脈の東部に位置するブータン王国は、総面積約38,394平方キロメートル(14,824平方マイル)の内陸国で、長らく「世界でもっとも孤立した仏教王国」として知られてきた。周囲をインドと中国に囲まれ、標高の高い山々と深い渓谷に守られるように存在するこの国は、20世紀後半まで絶対王政の体制を維持していた。

かつてのブータンには成文化された法律も裁判制度もなく、国王が政治・経済・司法すべてを掌握しており、国民生活は王の判断に大きく依存していた。 しかし、1990年代後半に入ると、第4代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュク(Jigme Singye Wangchuk) が自らその絶対的権力を手放し、民主化への道を切り開いた。 ワンチュク国王は、ブータン独自の国是である「国民総幸福量(Gross National Happiness:GNH)」の理念を提唱し、経済成長だけでなく、精神的・社会的な幸福を国の指標とするという画期的な考え方を世界に発信した人物でもある。

1998年には国王が行政権の一部を内閣に委譲し、1999年にはテレビ放送とインターネット利用を初めて解禁。 それ以前のブータンでは、メディアや外部情報へのアクセスは厳しく制限されており、テレビが導入されたときには「急速な近代化が伝統文化を壊すのではないか」と国内外で議論が巻き起こった。 それでもブータンは、外部の文化を取り入れながらも伝統・宗教・自然との調和を守る稀有な国家として発展を続けている。

現在では立憲君主制へと移行し、2008年には初の国民選挙が実施された。 現国王ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク(第5代国王)は、若き指導者として教育・環境保護・地域格差の是正などに力を注ぎ、「世界で最も幸福な国」と称されるブータンの象徴的存在となっている。

トンガ王国(Tonga)

トンガ王国(Tonga)
トンガ王国(Tonga)

トンガ王国は南太平洋の南西部に位置し、約170の島々から成る群島国家である。 総面積はわずか748平方キロメートル(289平方マイル)ほどと小さいが、ポリネシア地域で今なお王政を維持する唯一の国として知られている。 1875年に憲法が制定され、立憲君主制が確立。以降、王室は国の精神的な支柱として存在し続けている。

トンガの歴代君主の中でも特に有名なのが、サローテ・トゥポウ3世女王(Queen Salote Tupou III) である。 彼女は1918年に即位し、1965年に亡くなるまでの47年間にわたりトンガを統治した。 女王は高い教養と人柄の温かさで国民から深く愛されただけでなく、海外でも強い印象を残した人物として知られている。

特に彼女の名を世界に広めたのが、1953年にロンドンで行われたエリザベス2世の戴冠式での出来事である。 式典の日はあいにくの雨だったが、サローテ女王は自国の代表として馬車でパレードに参加した際、屋根を閉じずに開放したまま走行。 雨に濡れながらも終始にこやかに手を振り続けるその姿は、沿道の観衆を魅了し、英国民から「陽気で気品ある女王」として称賛された。 このエピソードは今でもトンガの人々に誇りとして語り継がれている。

彼女の治世下でトンガは近代化を進めつつも、伝統文化や王室儀礼を守り続ける独自のバランスを築いた。 現在のトンガも立憲君主制を維持しており、王室は国家の安定と誇りの象徴として国民に親しまれている。

ブルネイ・ダルサラーム国(Brunei Darussalam)

ブルネイ・ダルサラーム国
ブルネイ・ダルサラーム国

ブルネイ・ダルサラーム国は、東南アジアのボルネオ島北部に位置する イスラム教スルタン国家 であり、豊富な石油と天然ガス資源によって世界有数の富裕国として知られている。 国土面積は約 5,765平方キロメートル(2,226平方マイル) と小さいが、スルタン(国王)が国家元首と政府首班の両方を兼ねる絶対君主制を現在も維持している。

ブルネイは長い間、英国の保護領として統治されており、1888年から1984年までのほぼ1世紀間イギリスの影響下にあった。 しかし1984年、スルタン・ハサナル・ボルキア(Sultan Hassanal Bolkiah)のもとで完全独立を果たし、国名を「ブルネイ・ダルサラーム(平和なるブルネイ)」と正式に改めた。

独立後、ブルネイは急速な経済発展を遂げたが、その富は主に石油と天然ガスの輸出に依存している。 国民は税金がほとんどなく、教育や医療は無料で提供されており、生活水準は東南アジアの中でも非常に高い。 一方で、社会は厳格なイスラム的価値観のもとで運営されており、スルタンは1990年代から伝統的イスラム教義の強化を進めてきた。

特に2014年、ブルネイは国際的な注目を集めた。 この年、スルタン政権は刑事事件において イスラム法(シャリーア法 / Syariah Law) の厳格な刑法典を導入したためである。 これにより、窃盗や姦通、同性愛などに対して厳罰(鞭打ち刑・石打ち刑など)が科される可能性があるとして、世界的な議論と批判を呼んだ。

とはいえ、ブルネイ国内では国王に対する忠誠心が強く、スルタンは宗教的指導者・政治的支配者・国家の象徴として国民から深い尊敬を受けている。 伝統と近代、信仰と豊かさが共存するブルネイは、イスラム君主制国家の中でも特異な存在として世界の注目を集め続けている。

レソト王国(Lesotho)

レソト王国(Lesotho)
レソト王国(Lesotho)

レソト王国(Lesotho)は、アフリカ南部に位置する内陸の山岳王国であり、国土のすべてが南アフリカ共和国に完全に囲まれているという特異な地理的特徴を持つ。 国土面積は約 30,355平方キロメートル(11,720平方マイル) で、周囲を囲む南アフリカ(約1,220,813平方キロメートル)と比べると非常に小規模だが、標高の高い山地に広がる自然豊かな国である。 その地形のため、「アフリカの屋根」「天空の王国(The Kingdom in the Sky)」とも呼ばれている。

レソトは現在立憲君主制を採用しており、伝統的王室を持つ数少ないアフリカ諸国のひとつである。 その成立の背景には、ガン戦争(Gun War, 1880〜1881) と呼ばれる南アフリカ史上の重要な戦いがある。 この戦争は、当時「バストランド(Basutoland)」と呼ばれていた地域のソト族(Sotho people)が、イギリス領ケープ植民地による併合に抵抗して独立を守り抜いたものであった。

戦争の結果、1884年にケープ植民地はバストランドの直接統治を放棄し、その支配権をイギリス政府に移譲。 これにより、バストランドは南アフリカ連邦(1910年成立)に組み込まれることなく、独自の行政区として存続した。 その後、1966年にイギリスから正式に独立を果たし、現在の「レソト王国(Kingdom of Lesotho)」として再出発した。

独立後も、レソトは国王を国家の象徴とする体制を維持しており、王室は国民の誇りであり、民族的統一の象徴とされている。 首都マセル(Maseru)を中心に近代化が進む一方で、国土の多くはいまも牧畜や農業に依存しており、伝統文化と自然が調和した独自の社会が形成されている。 また、周囲を囲む南アフリカとの経済的・人的結びつきは強く、多くの国民が隣国で働きながら家族を支えるなど、小国ながらも強い独立精神を持つ山岳の王国として知られている。

エスワティニ王国(Eswatini)

エスワティニ王国(Eswatini)
エスワティニ王国(Eswatini)

エスワティニ王国(Eswatini)は、アフリカ南部に位置する小さな内陸国で、国土面積は約17,364平方キロメートル(6,704平方マイル)。 2018年までは「スワジランド(Swaziland)」という国名で知られていたが、同年に現国王 ムスワティ3世(King Mswati III) が独立50周年を記念して国名をエスワティニへ正式に変更した。

ムスワティ3世は1986年に即位した君主であり、父であるソブーザ2世(King Sobhuza II)およそ60人の息子の一人として生まれた。 ソブーザ2世には70人以上の妻がいたとされ、世界でもっとも多くの妻を持つ王の一人として知られている。 その血を受け継いだムスワティ3世も多妻制を実践しており、40歳を迎える頃にはすでに十数人の妻を迎えていた。

王室の豪華な生活ぶりは、国内の一般国民の暮らしとの対比がしばしば国際的な議論を呼んでいる。 エスワティニはHIV/AIDS感染率が世界で最も高い国のひとつであり、貧困や飢餓の問題にも深刻に直面している。 その一方で、王室は宮殿建設や高級車の購入など贅沢な支出を続けており、国際社会からの批判も少なくない。

それでも、エスワティニでは王制が社会の根幹として深く根付いている。 国王は単なる政治的リーダーではなく、民族的・宗教的な象徴として尊敬され、国の儀式や行事には重要な役割を果たしている。

スワジ人の伝統的生活においては、牛(cattle) が特に重要な意味を持つ。 牛は労働力や乳の供給源であるだけでなく、富の象徴としても扱われ、結婚時の花嫁の持参金(ロボラ:lobola) として贈られることも多い。

国の精神的中心は、王都 ルジジジニ(Ludzidzini) にある王室集落である。 ここには国王が所有する 神聖な牛の囲い(cattle kraal) があり、伝統的儀式「ウンフララ(Umhlanga:葦祭り)」など、重要な国家行事がこの地で行われる。

エスワティニは現代化の波を受けながらも、伝統的王権と部族文化を今なお強く保持するアフリカ最後の絶対君主国として、その独自の存在感を世界に示している。

Q. Q1. 王国と普通の国(共和国)との違いは何ですか?
王国(君主制国家)とは、国の元首が「国王」や「女王」といった君主によって務められる国のことです。君主は多くの場合、世襲制で家系を通じて地位が引き継がれます。一方、普通の国(共和国)は、国民によって選ばれた大統領や首相が国家元首となり、権力は選挙や憲法によって制限されています。つまり、王国は伝統と血統を重んじる体制、共和国は民意と民主主義を基盤とする体制といえます。
Q. Q2. 日本は王国ですか?
日本は厳密には 王国ではなく「立憲君主制国家」 です。日本の天皇は「象徴」として国民統合の中心的存在ですが、政治的権限は持ちません。これは英国などの立憲君主制と同じ仕組みで、国の運営は選挙で選ばれた政府が行います。つまり、日本は「王国的な伝統を持つ民主主義国家」といえます。
Q. Q3. 現在も存在する王国はいくつありますか?
現在、世界には 30か国前後の王国(君主制国家) が存在します。代表的な例として、イギリス、タイ、サウジアラビア、モロッコ、ブータン、トンガ、エスワティニなどがあります。これらの国の多くは、伝統や宗教、民族の象徴として王室を尊重しつつ、立憲君主制のもとで民主的な政治を行っています。
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