ゾーラン・マムダニ(Zohran Mamdani、1991年10月18日、ウガンダ・カンパラ生まれ)は、ニューヨーク市の次期市長である。 2024年10月に出馬を表明した当時は、ニューヨーク州議会の無名議員の一人にすぎなかったが、民主党の大本命とされた元ニューヨーク州知事アンドリュー・クオモを予備選で破り、さらに本選でも勝利して政界を驚かせた。 マムダニは自らを「民主的社会主義者」と称し、「市民が暮らしやすい街をつくる」ことを中心に掲げて選挙戦を展開した。
幼少期
マムダニは1991年、ウガンダのカンパラで生まれた。 母親はアカデミー賞にノミネートされた映画監督のミーラ・ナイール、父親は人類学者のマフムード・マムダニである。 両親は1989年、ナイールが2作目の映画『ミシシッピ・マサラ』(1991年公開、主演デンゼル・ワシントンとサリタ・チョードリー)のためにカンパラでリサーチを行っていた際に出会った。 両者ともインド出身だが、父マフムードはウガンダで育っている。
子どもの頃、マムダニ一家は父の大学職に合わせて各地を転々とした。7歳のとき、家族とともにニューヨークへ移住し、父はコロンビア大学の人類学教授に就任した。 マムダニは後に雑誌『ニューヨーク』の取材で「父は僕に“アフリカ人であることを誇りに思え”と教えてくれた」と語っている。 彼のミドルネーム「クワメ(Kwame)」は、ガーナ初代首相クワメ・ンクルマにちなんでいる。
初等教育はマンハッタンにある進歩的な私立校「バンク・ストリート・カレッジ附属スクール・フォー・チルドレン」に通い、その後、名門公立校「ブロンクス科学高校」に進学した。 同校ではクリケットチームを設立し、副生徒会長選に立候補したが惜しくも落選している。
政治への関心の芽生え
2010年、マムダニはメイン州のボウディン大学(Bowdoin College)に進学し、在学中に「パレスチナの正義を求める学生の会(Students for Justice in Palestine)」の支部を設立。イスラエルの学術・文化機関に対するボイコット運動を主導した。 2014年にアフリカ研究の学士号を取得して卒業している。
マムダニは、イスラエルとパレスチナに対するアメリカの政策に向き合った経験が、自身の政治意識を形成する重要な契機になったと語っている。 「私たちは自由や正義、自決権を大切にすると言いながら、なぜかパレスチナの人々に対してはその原則を適用しない。それが私の原動力になったのです」と、2023年のインタビューで述べている。
大学卒業後、マムダニは地域活動家を養成する1年間の研修プログラム「チェンジ・コープス(Change Corps)」に参加した。しかし、参加から6か月後、自身がプログラム内部で労働組合の立ち上げを進めていたため、解雇されると感じて自主的に辞職した。 その後、母親の映画製作を手伝い、幼なじみと共にヒップホップデュオを結成し、「ヤング・カルダモン(Young Cardamom)」の名で活動(のちに「ミスター・カルダモン(Mr. Cardamom)」に改名)。 最終的には、クイーンズ地区で住宅差し押さえ防止の相談員として働くようになった。
政界への進出
その仕事(住宅差し押さえ防止の相談員)と政治キャンペーンへの関わりを通じて、マムダニは自ら政治家を志すようになった。 2020年、彼は現職の民主党議員を破り、クイーンズのアストリア地区などを代表するニューヨーク州議会議員に初当選。 この年は、アメリカ民主社会主義者協会(Democratic Socialists of America, DSA)に所属する候補者たちが相次いで当選した年でもあり、マムダニもその一員だった。以降、彼は2度の再選を果たしている。
州議時代の主な実績として、ニューヨーク市内の一部バス路線を1年間無料化するパイロットプログラムを共同で立ち上げたことが挙げられる。 また2021年には、ニューヨーク市のタクシー運転手を苦しめていた高利貸付問題に抗議して15日間のハンガーストライキを行い、市当局が最終的に運転手たちへの総額4億5,000万ドルの債務救済を実現させた。
市長選出馬
2024年10月、マムダニはニューヨーク市長選への立候補を表明。 当初から「生活費の高騰」を最大の争点に掲げ、「私がこの選挙戦に持ち込むのは、ニューヨーク市民にとって最も重要な問題――生活の“負担能力”に焦点を当て続ける姿勢だ」と英紙『ガーディアン』に語った。 「家賃も、保育費も、交通費も、食料品も払えない。今のニューヨークはそれほどまでに厳しい」と述べている。
公約として掲げたのは、家賃安定住宅の賃料凍結、市内のバスを高速・無料化すること、そして各区に1店舗ずつ市営の食料品店を試験的に設置することだった。
選挙開始当初、マムダニの知名度は低かったが、インスタグラムやTikTokを活用した動画戦略が功を奏し、急速に注目を集めた。 映像では、マムダニがマンハッタンを南北に13マイル歩いて市民と握手したり、スーツ姿のまま氷水に飛び込む「ポーラープランジ(極寒ダイブ)」に参加したりする姿が話題となり、「家賃凍結」へのコミットメントを象徴的に示した。 評論家たちは彼のユニークなスタイルを称賛したが、世論調査では依然としてアンドリュー・クオモが優勢とみられていた。
イスラエル・パレスチナ問題をめぐる議論
選挙戦の中で、マムダニはイスラエル・パレスチナ問題、特にイスラエルとハマスの戦争に関する発言で批判を受けることもあった。 彼は「イスラエルには平等な権利を持つ国家として存在する権利がある」と述べつつも、「Globalize the Intifada(インティファーダを世界に)」というスローガンの非難を拒否した。 “Intifada”はアラビア語で「蜂起」「振り払う」という意味で、イスラエルの占領に抵抗するパレスチナ人の2度の民衆蜂起を指す言葉でもある。 マムダニ自身はこのスローガンを使ったことはないが、「それは平等と人権を求める切実な叫びだ」と述べ、 また「米国ホロコースト記念館がワルシャワ・ゲットー蜂起の展示をアラビア語に翻訳した際にも“インティファーダ”という語を使っていた」とも指摘している。 さらに彼は繰り返し反ユダヤ主義との闘いへの強い姿勢も表明している。
歴史的勝利
2025年6月24日、マムダニはニューヨーク市長選の民主党予備選で勝利し、最終得票率はマムダニ56%、クオモ44%。 NPRはこの結果を「驚くべき番狂わせ」と評し、 「民主党における“ティーパーティー運動”の始まりかもしれない」と分析した。 マムダニ陣営は数万人規模の新規有権者を投票所に動員し、地域によっては投票率が2021年の2〜3倍に跳ね上がった。
その後の2025年11月の本選では、無所属として再出馬したクオモ、共和党候補のカーティス・スリワと争い、 1969年以来最高の投票率を記録した選挙で勝利した。 彼の経験不足を懸念する声もあったが、 進歩的な政策はアレクサンドリア・オカシオ=コルテス下院議員やバーニー・サンダース上院議員などリベラル派の強力な支持を得た。 カマラ・ハリス前副大統領やニューヨーク州知事キャシー・ホークルもマムダニを支持したが、 民主党の重鎮であるハキーム・ジェフリーズ下院院内総務やチャック・シューマー上院院内総務は支持表明が遅れ、 ジェフリーズが支持を表明したのは投票日の2週間前、シューマーは最後まで支持を明言しなかった。
選挙終盤にはドナルド・トランプ大統領がクオモ支持を表明し、 マムダニが当選すればニューヨーク市への連邦資金の停止を検討すると警告。 さらにマムダニのアメリカ市民権の剥奪や逮捕の可能性まで示唆した。 (マムダニは2018年にアメリカ市民権を取得している。)
マムダニは就任後、ニューヨーク市史上初のイスラム教徒の市長、 初のインド系アメリカ人市長、 そして1889年に30歳で当選したヒュー・J・グラント以来、最も若い市長となる。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1991年10月18日(34歳) |
| 出生地 | ウガンダ・カンパラ |
| 政党 | 民主党(Democratic Party) |
| 著名な家族 | 母:ミーラ・ナイール(映画監督) |




