フランドル絵画(Early Netherlandish painting)とは、14世紀末から15世紀にかけて、ブルゴーニュ公国の支配下にあったネーデルラント諸地域で生み出された美術のことを指します。当時のフランドル地方は経済的にも文化的にも栄えており、絵画や彫刻、建築など視覚芸術の発展においてヨーロッパを代表する中心地となりました。
ブルゴーニュ公と芸術の庇護
1363年、フランス王ジャン2世の子フィリップ豪胆公がブルゴーニュ公に叙任され、さらにフランドル女伯との婚姻により1384年にはフランドル伯領を継承しました。以降、ブルゴーニュとフランドルの強力な同盟が築かれ、美術の発展を支える大きな土台となりました。公都ディジョンには壮麗な修道院や宮廷が整えられ、芸術家たちが集まりました。
ブルゴーニュ公国の宮廷で活躍した代表的な彫刻家がクラウス・スリューテル(1340頃–1406)です。彼はディジョンのカルトジオ会修道院において《モーゼの井戸》や公爵夫妻の肖像彫刻を制作し、写実的で力強い表現で知られました。また、ジャン・マルエル、アンリ・ベレショーズ、メルキオール・ブローデルラムら画家も宮廷に仕え、自然描写と象徴性を融合させた革新的な宗教画を残しました。
ヤン・ファン・エイクと油彩技法の革新
フィリップ善良公(在位1419–1467)の治世下では芸術への patronage(後援)が一層拡大しました。特にヤン・ファン・エイク(1395頃–1441)はブルゴーニュ宮廷画家として名を馳せ、《ゲントの祭壇画(神秘の子羊の礼拝)》や《アルノルフィーニ夫妻像》といった名作を残しました。彼は油彩とニスを組み合わせた新しい技法を完成させ、鮮やかな発色と耐久性を実現。フランドル絵画をヨーロッパ美術の最前線へと押し上げました。
後継の巨匠たち
ファン・エイクの同時代・後継の画家としては、フレマールの巨匠(現在ではロベルト・カンピンとされる)や、ブリュッセルのロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399/1400–1464)が挙げられます。特にロヒールは繊細な線描と柔らかな色調で知られ、その様式はイタリア・ルネサンスの画家たちにも大きな影響を与えました。
さらに15世紀後半にはペトルス・クリストゥス(1420頃–1472/73)、ディリク・ボウツ(1400頃–1475)、ヒューゴ・ファン・デル・グース(1440頃–1482)、ハンス・メムリンク(1430/35–1494)らが活躍し、自然描写の緻密さと高度な象徴性をさらに発展させました。
芸術と政治の結びつき
ブルゴーニュ公たちは芸術を単なる装飾ではなく「権力の象徴」として活用しました。華やかな行列や祝宴、写本装飾などは、宮廷の威光を国内外に示すための重要な手段でした。こうした庇護のもとで、フランドル絵画はヨーロッパの芸術潮流における先駆的な役割を果たし、後のルネサンス美術にも大きな影響を与えたのです。